おいしくないものは食べたくない病@大阪・神戸

快楽日誌 快楽主義とは、感覚的な快楽を幸福と捉え、これを産出する行為を正しい・善いとみなす倫理学上の立場であり幸福主義の一種である。

中房天満店@デリバリー

もうすべてがめんどくさくなってしまったら、いつもデリバリーに頼ってしまう。
アメリカ時代は、日本と違ってバラエティに富んだ
デリバリーにびっくりした。
わたしにとってデリバリーとは、だいたいがピザで、あとはうどんやそば、丼程度のものだったので、アメリカで、タイ料理やインド料理、家の近くのイタリア料理店までもがデリバリーを行っていると知ったときは、衝撃だったし、風邪をひいたとき、テスト期間中など
かなり重宝した。
日本にいたときはまさに限られた数のデリバリーしかなく、
持ち帰り文化がそこまでないので、わくわくしながらいろいろなものをたのんだ。
おととし日本にかえってきたとき、私のいない間にずいぶんと日本も
変わったのだなと思うのは、デリバリーが可能な店もおおく、
むしろ店舗はなくデリバリーのみでやっている店もあるということである。
もうびっくり。
使わない手はない。
などとかんがえて、いろいろとためしたものの、中華などはやはり熱さが命だから
とおもって試していなかった。
だがそうなると結局頼むものが限られてしまって飽きてしまう。
なので勇気を出して近くの中華料理屋のデリバリーをたのんだ。
すると、びっくりしてしまうほど、アツアツの食べ物がやってきた。
どうやってこの熱さをたもったんだろう・・・。
春巻きは、もう店で出てきたようなあつさで少しおかなければかぶりつくことができないほど。
チャーハンも、鍋からおりたばかりのようなあつさで
ココは店?と錯覚するほどだった。
期待値が低かったというわけでもないけれど、とにかくおいしかった。
レバニラはレバーにつける粉が多すぎたようなきもしたけれど
そこはもう気にしない。
とにかくあつあつでおいしい中華がデリバリーで食べられる日がくるとはおもっていなかった。







もうすべてがめんどくさくなってしまったら、いつもデリバリーに頼ってしまう。
アメリカ時代は、日本と違ってバラエティに富んだ
デリバリーにびっくりした。
わたしにとってデリバリーとは、だいたいがピザで、あとはうどんやそば、丼程度のものだったので、アメリカで、タイ料理やインド料理、家の近くのイタリア料理店までもがデリバリーを行っていると知ったときは、衝撃だったし、風邪をひいたとき、テスト期間中など
かなり重宝した。
日本にいたときはまさに限られた数のデリバリーしかなく、
持ち帰り文化がそこまでないので、わくわくしながらいろいろなものをたのんだ。
おととし日本にかえってきたとき、私のいない間にずいぶんと日本も
変わったのだなと思うのは、デリバリーが可能な店もおおく、
むしろ店舗はなくデリバリーのみでやっている店もあるということである。
もうびっくり。
使わない手はない。
などとかんがえて、いろいろとためしたものの、中華などはやはり熱さが命だから
とおもって試していなかった。
だがそうなると結局頼むものが限られてしまって飽きてしまう。
なので勇気を出して近くの中華料理屋のデリバリーをたのんだ。
すると、びっくりしてしまうほど、アツアツの食べ物がやってきた。
どうやってこの熱さをたもったんだろう・・・。
春巻きは、もう店で出てきたようなあつさで少しおかなければかぶりつくことができないほど。
チャーハンも、鍋からおりたばかりのようなあつさで
ココは店?と錯覚するほどだった。
期待値が低かったというわけでもないけれど、とにかくおいしかった。
レバニラはレバーにつける粉が多すぎたようなきもしたけれど
そこはもう気にしない。
とにかくあつあつでおいしい中華がデリバリーで食べられる日がくるとはおもっていなかった。